初めて絵画を理解した話【言語としての絵画】

エッセイ

2019年、夏のある日のこと。

私は一人、よく晴れた平日の昼間に美術館に向かっていた。

あべのハルカス美術館で開催されていたギュスターヴ・モロー展を見たかったからだ。

当時の私は、5年ほど続いた暗いトンネルのような闘病生活に、光がさし始めるのを感じていた。

一つの時代を抜け、どこか新しい場所へ行ける期待——そんな予兆が私を好奇心旺盛にさせた。

リハビリで軽い運動をしたり出かけたりして、少しずつ活動量を上げて体力作りに励む中とった、数ある行動の一つに過ぎないはずだった。

そもそもは、モロー展のチラシにサロメとファム・ファタルの言葉を見て、本の中で聞きかじった言葉を足がかりにして興味を持ったと思う。

数年間、寝て起きては本ばかり読んでいた私が手に取った本には、神話や聖書を扱った書物も含まれていた。

その中で、サロメに関連する話を少しばかり読んだことも、この展示を見に行くきっかけとなった。

初めて足を向けた美術館は、16階にあった。

眺めのいい高層階のテラスには家族づれが集まっていたが、なるべく人の少ない時間を狙った甲斐もあり、美術館は思ったよりも空いていた。

美術館のロビーにはテラスからの陽光が程よく差し込み、落ち着いた木陰のように居心地がよかった。

ほとんど並ばずにチケットが買えた私は、すぐに展示室へと吸い込まれていった。

その日のそのあとの記憶は、すべて一枚の絵に関するものとなっている。

私は初めて絵画に語りかけられた。

そして、その言語を理解することができた。

芸術を解するための辞書がないと思っていた私の中に、明らかに一つの単語が刻まれるような体験だった。

哀しいと叫んでいた『パルクと死の天使』

展示室に入ってすぐの場所だったか、いくつかの作品を見た先にある一つの区画に入ってすぐの場所だったのか——詳細は覚えていない。

とにかくそこは「入り口」だった。

作品にとっても、私にとっても、完成された環世界への入り口だったのは間違いない。

一歩その空間に足を踏み入れた私が、両の目でその絵画の全貌を捉えるよりも恐らくは早く、全身でその絵画の存在に気づいていた。

まるで野生の獣と対峙してしまったかのような、張り詰めた存在感を感じ、私は一瞬気圧されたのを覚えている。

目の端で捉えた絵画を真正面から見据えるまでの時間が、スローモーションに感じた。

薄暗がりの中、遠目からでも凄絶な存在感を静かに放って鎮座している一枚の絵。

私は少しも目が離せなかった。

「泣いてる」——真っ先にそう思った。

自分でもどうしてそう感じたのか説明はできない。時代背景も主義や流派も、美術的な技術や理論もわからない。根拠も何もなく、しかし確かな形を持って感じ取れる壮絶な哀しみがあった。

私はたっぷりと遠目から見た後、少しずつ慎重に距離を詰めていった。周囲を警戒しながらぐるりと回るように近づくと、ついに目の前に立った。

間近で見た絵は、また少し印象が変わった。

まず驚いたのは、激しく波打ち岩石の表面のような荒々しい筆のタッチ。

あれほど哀しみを体現していながら、生々しすぎるほどに暴力的で力強い筆に私はモローの怒りを見た。

その絵が訴えかけてくる哀しみは幽遠な青黒い谷底でありながら、同時に真っ赤な怒りの炎を孕んでいると思ったのだ。理不尽で不条理な世の中、そして哀しみそのものに対する嘆きと怒りに感じてならなかった。

身体中が目になり、その絵以外の情報が世界から消えた。そこには夜闇の中で涙に濡れ、ぬらぬらと光る一枚の絵があった。哀しみの中でキャンバスの前に立ち続けるには、燻る炎を頼りにするしかない画家の魂があった。

私は人目も憚らず、しばらくその絵の前に立ち尽くした。

キャプションも題名も、解けない問題の模範解答

少し経って我にかえると、私は急いでキャプションを探し見た。

そこには、『パルクと死の天使』と題が書かれており、モローが大切な二人の女性を亡くした際に失意の底で書かれた絵だと説明されていた。

私は「やはり」と得心し、生まれて初めてキャプションを見る前に絵画の意図を汲み取れたのだと、自信を持ってそう思えた。

普段なら、各作品を簡単に追いながら、気になった作品のキャプションを読み、背景などからなんとかその作品の言いたいことを手繰り寄せようと躍起になっていた。

私は、絵画を理解すると言うことの意味を初めて知った。

言葉で話したり、書いたりして表現するのと同じに、絵画で表現したものを受け取るといったコミュニケーションが、私にもできるのだと初めて知ったのだ。

私はキャプションを全て読み終えると、また絵の正面に立った。

夜に泣いているように見える照明の当て方にも、美術館側の展示の意図を感じずにはいられない。

ショック状態から抜け出した私は、体温が身体中に戻るのを感じ、じんわりと涙が滲んできた。

これが私の絵画や美術における原体験になることはわかっていた。

「文字じゃない言語」

私は展示室を出た後、すぐに図録を購入した。今も大切にし、本棚に眠っている。

これまで何度も何度も、折に触れその絵を見返してきた。体験をなぞるように。私の中にも、確かに絵画を解する言葉があると確かめるように。

『パルクと死の天使』かなしみは私の中に初めて作られた辞書に加えられた最初の言葉となった。

それは本当に、不思議な体験だった。

私は、絵にこれほど訴えかけられたことがかつて一度もなかった。そして、残念なことに今このブログを書いている私にとっても、唯一の体験だ。

心から願うのは、これが一生で一度の体験にならないことだ。

この体験の数年後に、私は『ブルーピリオド』という美術をテーマとした漫画に出会った。その中で美術教師が主人公に言う。

「美術は面白いですよ。自分に素直な人ほど強い。文字じゃない言語だから」

この実体験がなかったら、私はこの言葉の意味を、今の解像度で理解はできなかっただろう。

文字や絵画やその他の創作物を通して、人は時代も場所も超えてコミュニケーションを取れる。それもごく個人的なところで、深く強いコミュニケーションを取れるのだ。

また、私の敬愛する版画家でエッセイストの篠田桃紅さんは、作品にタイトルをつけたがらなかったことを思い出す。純粋な鑑賞には不要だと考えていたようで、言葉でタイトルをつけてしまえば、意味が限定され本来あったはずの作品との会話ができなくなると思ったのだろう。

文字でない言語に文字を付すのは、作品と向きあい真に会話する者にとって、雑音になるのも想像できる。

桃紅さんが「物を美しいと見、感じればそれでいいので、作者を考えるのは純粋な鑑賞ではないかもしれない」と自信もできないことがあるという話と共に、著書で綴っていたのを思い出す。

作品自体を純粋に楽しむことができればそれが一番良いのかもしれないが、それはとても洗練された高次にある体験のように思える。

そして私は実体験から、あまりにも鮮烈に作者の存在を感じてしまう作品があることも知ってしまった。これが身勝手な詮索や共感だと言われてしまえばそれまでだが、今はまだそれでいい。

絵画を紐解く新たな言語習得の第一歩として、この体験を大事にしていたいと思う。

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