最近、秋だからか読書欲が高まっている。
積読が少し減ってきたので、久しぶりに本をまとめ買いした。読書はもちろん趣味だが、最近積読の数を見ていると、読むこと以上に本を買うことが趣味なのではと思う時がある。
今回は手に取ることの多い作家や、読み慣れたジャンルにはあえて手を出さなかった。
コンフォートゾーンを抜け出し、自身の読書の幅を広げるべく、一度も読んだことのない作家の本ばかりを買い揃えた。読むのが楽しみだ。
ちなみに一部商品は、初めてVALUE BOOKSを利用し購入した。素敵なサービスやいろいろな事業を応援するスポンサーでもあるので、これからも応援のために利用していきたい。
したいのは、自明性の外に出る読書
とはいえこれまでも、決して惰性で選書したわけではなく、好んで選んだ本を一冊一冊楽しんで読んでいた。
しかし長く読書していると、少し難解な書物に挑戦したくなったり、普段選ばない本で冒険し、考えを広げてみたくなる時期が定期的に訪れる。
自身の狭い了見や凝り固まった価値観を傷つける開拓の時期だ。
そういえば昔、宮台真司さんがNewspicksのWEEKLY OCHIAIにてこんな発言をしていた。
「アートと勉強は、自明性の外に連れ出して傷つける行為だ」
当時も痒い所に手が届く言語化に唸ったが、今聞いてもやはりなるほどなと思う。
芸術も読書も人との関わりも、自明性の中に閉じこもり甘えると、快適で最初は楽しくても、次第に自己満足の匂いが漂い始め、しまいには悪臭を放つようになると思う。
私は老化と共に、自分が新しいものに触れて傷ついたり学んだりするのが面倒だからと、偏見や狭い世界の中で口だけが達者になり、挑戦もせず、新しくでてくる世の中のものを悉く否定して生きるようになるのが、心底恐ろしくてたまらない。
どんなに便利で今は当たり前のテクノロジーとされているものでも、新しく出てきた頃には必ず批判され叩かれてきたのだ。
古いものを愛する気持ちは良いと思うが、新しいものへの寛容さと好奇心を決して忘れたくはないとも思う。
ひょっとすると、そのような恐れや、自明性の中に己を放置していてはならないという焦りが、私に本を読ませるのかもしれない。
修復を促す傷をもたらすものと交わる
人間関係にも同じことが言える。
自分のことをわかってくれている旧知の人物にばかり会っていると、言語化に頼らずともに簡単にコミュニケーションが取れてしまい、同じような思想の者ばかりの集まりになる。
次第にそのコミュニティが自身の「世界」になり、その中で通用する考えが「普通」で、そこでしか通用しない偏った考えまで「当たり前」と思うかもしれない。そうして独自の狭い文化を築き、そこから出られなくなることもあるだろう。
定期的に新しい人間関係に触れていないと、「普通」だと思っていることの幅が狭くなり、過度に世界を簡略化してみたがるようになると思う。そうなれば、それ以外を許容できなくなってしまう。
私は最近、一人が好きでも、あまり人間関係を制限しすぎてはいけないなと反省しているところだ。
そして年齢に関わらず、新たな趣味や新たなコミュニティに挑戦し、人間関係にも積極的に新陳代謝をもたらしたいと思う。
人間関係で傷つくことがあっても、その傷が修復される中で傷ついた部分が丈夫になり、カサブタで肥厚する分だけ自分の枠は広がるかもしれない。
時に自明性の外に私を連れ出し、傷つける。しかしそこで終わらずに、その後一緒に傷を修復し合える人や本とこれからも出会い、友人になりたいと思う。
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