【転職の目標】「痛気持ちいい」環境で安住する

エッセイ

私はゆるく転職活動中なのだが、求人を眺めていても条件ばかりをみていて、最終的に自分の希望を見失うということがよくある。選考を進めながら、これが最善の選択だと言い聞かせている自分に気づいてうんざりしたりもする。

最近色々な本に影響を受け、目下の課題は自分に正直にありのまま生きることなのだ。

自分の「楽しい」を損ないやすいパラメーター

好きだったはずの職種だが、どの仕事もいつの間にかさほど興味を持てなくなっており、これは飽きなのか、環境が合っていないのか、それともこの職における私の能力値の限界なのかと考える。

最近、仕事を楽しいと思えていない。

「楽しい」までいかずとも、ちょっとした充実感のようなものでもいい。

あれこれと考えて、今の仕事の何が不満なのかと聞かれれば、最終的にそこに行き着いた。

働き方や給与面など、改善できるならしたいところはたくさんあるが、最も求めているのは1日の大半を過ごす職場での時間が、あっという間に過ぎるほど楽しく充実していることなのかもしれなかった。

これは給与など、わかりやすい数字を追うよりも下手すれば解決が難しいことは百も承知だ。

しかしそれでも考える。仕事を楽しむために必要なものは何だろう?

やりがいのある仕事、円滑な人間関係、残業が少ない、良い会社業績、高い給与に福利厚生?

給与や福利厚生はもちろん大事だが、それは根本的に「楽しくない仕事」をなんとかごまかせる要素が増えるだけのような気もする。色んな意味で保険のような機能のような気がしてならない。

——そこまで考えて、それは全部の要素に言えることだなと思った。

仕事自体は楽しくないけど給与がいいから、人間関係がいいから、大企業だから……その言葉も聞き覚えがある。逆もあって、仕事は楽しかったけど、他の要素が辛くて……と辞めていく人も見てきた。

そうなると、職場環境で一番大事なのはバランスで、何事においても「辛くはない」ということなのかもしれない。

人間関係が辛くない。体力的に辛くない。仕事の進め方が辛くない。待遇面で辛くない。通勤が辛くない。

こうした積み重ねは、蓄積される仕事のちょっとした達成感や充実感を損なわないのではないか。

中でも特に耐性がないパラメーターを考えてみるといいかもしれない。

私の場合は、仕事の進め方と通勤、次点で仕事量に耐性がない。

休日出勤が発生するのはさほど苦じゃないが、日々の仕事量は多すぎても少なすぎても長続きしないことは経験済みだ。仕事が忙しくとも、ある程度裁量が与えられ、自分のペースで進められるならストレスは少ない。そして、通勤は短ければ短いほど好ましい。

そういった好き嫌いを洗い出すと、理想の条件ばかりで、自分に本当に適した環境や希望を案外主張できていないことにも気づく。

耐え難いパラメーターがあると、「それならせめて、⚪︎⚪︎な仕事がしたい」と本来の自分が求めるものからどんどんとずれいく気がする。

考えれば考えるほど、仕事自体を楽しむという活力が、思いのほかこうした他の要素によって削られていることに覚えがあり過ぎる。

「辛い」はただ自分を損なう痛み

色々と描き散らかしたが、もちろん、好きなこと・辛くないことばかり選ぶことはできないし、それでは成長もないのだが、少し頑張ればできるくらいでないと持続もできない。

「辛い」が続くことは、頑張って偉い状態ではなく怪我をしているのに無理しているようなもので、心身ともに健康を損なう可能性が大きい。

ヨガではストレッチの時に、痛くなるまで無理やり伸ばしてはいけないと教わる。

痛さにより、後々かえって筋肉がこわばってしまうことがわかっているからだ。

柔軟性をあげたいのであれば、「痛気持ちいい」を目安にすべきなのだ

そう教わったとき、私はこれが、楽しく前向きに努力するうえで何事においても適用すべき極意だと感じた。

今の仕事を続けるにしても、転職をするにしても、仕事の上で乗り越えなければならないことはある。

立ち向かう困難を「乗り越えられる」と思いながら楽しめるなら、多少無理をしていてもそれでいい。

しかし、何かを乗り越える中で、気持ちよさをとっくに超えてしまったものに関しては、引き返す必要があると感じる。

特にこわばって固い部位が体にもあるように、パラメーターによって無理できる程度は異なる。

そういった自分の性質に合った仕事探しをしていくことで、「辛くない」環境で「楽しい」を損なわれずに済むかもしれない。

緊張を強いられることもある転職活動だが、自分がよりわがままに過ごせる場所を探していると思えば、少し気が楽だ。

痛気持ちいいと思いながら前向きに働ける環境を見つけたら、長く安住したいと思う。

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