晴れた日の鴨川の速度で

エッセイ

昨日、仕事を辞めてきた。

現職の最終出社日だった。

転職先への入社は来月頭からなので、引越しや諸手続きを進めながら2月をゆっくりと過ごすつもりだ。

いま、現職のしがらみから解き放たれた私は、心身ともに茫漠とした自由時間を噛み締めている。

——長風呂かサウナの後のような解放感

これで体調が良ければ全能感と幸福感も得られていたことだろうが……。

というのも、ここ最近は退職に関わる事務作業に追われていた以外は、ただひたすらに体調不良だったのだ。

年明けの仕事始めから間もなく、インフルエンザに罹患。39℃以上の熱が出た。

治ったかと思ったら今度は急性胃腸炎になり、救急車のお世話になった。

仕事をほとんどした記憶のないままいつのまにか2月も中旬になっていた。

年始から散々だが、厄落としは済んだはず……前払いだと嬉しい

入社が刻一刻と迫る転職先から続々と届く書類たちが、「英気の貯蔵は十分か」と訊いている気さえしてくる。

転職活動から数えると、実に半年。その間に前職の部署異動まであり、慌ただしかったのは確かだ。

単純に年末からの疲れが出たのだろう。

これからしばらくは、目の前の仕事にのみ集中できそうで嬉しい限りだ。

新しい環境というのはストレスがかかるものだが、これまでの仕事環境や住環境が刷新されるという意味で、しがらみがない。

旧習や古い人間関係にまつわる評価からの解放は、可能性と期待に満ちている。

学生時代から、何か大きな決断をして環境を変える時、何もかも捨ててしまいたいと思って次の場所に向かっていた気がする。

今の自分自身や環境への不満を全て捨てるために、脱皮するように環境だけ変え続けていた。

自分が変わらなくてはただの新陳代謝で、進化できるわけでもないのに、それが自身の進化だと思おうとしていた。

だから、古くなった人間関係を維持したり大事にしようともあまり思えなくて、無碍にした友情も多かったように思う。

振り返れば振り返るほど、自身の幼さゆえに周囲に甘えてきたことが申し訳なく、恥ずかしい。

今回の環境変化で一つ言えることは、今までで1番、今を大事にしながら次に進めているということ。

「また会いたい」と思いながら別れを口にし、「また会おう」と言ってくれる相手をこれからも大事にしたいと心から思えている。

それはつまり、環境の変化を望むことが「ただ、今より良い場所を願うこと」で、「自己否定からくる焦燥」や「自己実現への誤解」ではなくなったということかもしれない。

もちろん、現環境の否定でも決してない。

こんな気持ちになれたのは初めてだ。

36歳にもなって遅いと思うかもしれないが、この歳になって気づくことはあまりにも多い。

子供の頃から変わらず並以下の体力で、皆がとっくに乗り越えていることをひとつひとつ拾い上げて向き合うばかりで、世の普通にはほど遠い。

しかし、最近強く思うのは、そんな自分を否定したり取り繕うのは自分ばかりで、周囲は全て了解したうえで許して付き合ってくれているということだ。

だから、公私共に、あんまりな背伸びをするのはやめようと思う。

癖になっているので、つい無理をすることもありそうだが、今年はゆっくり、自分の目線、自分の速度で歩くことに慣れたい。

次に住むのは京都だ。

晴れた日の鴨川のような速度で進む新たな生活に、ゆっくりと馴染めたら嬉しい。

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