頼るべき習慣を壊す歳時

エッセイ

日に日に寒くなり、いよいよ年の瀬である実感がわいてきた。

今年もあと残すところ12日、1ダースしかない。驚きだ。この間まで夏だったのにいつの間にか12月も後半。僧侶も走り出す季節になっていた。

ここ2年ほど、特に今年は恐ろしく過ぎるのが速い。正直、去年のGWくらいからの記憶がほとんどない。

これが年のせいで年々加速していくものなのか、それとも公私ともにトラブルが多く落ち着かなかったことが原因なのか……後者であることを祈る。

ともあれ、ひさびさに休日出勤もない10連休の冬休みをゲットしたのだ。しっかり仕事納めをして、すべきことをし、楽しむだけ楽しみたいところ。

着々と楽しい予定ばかりを立てているが、冬休みまでは1週間ほどしかない。つまりは仕事納めのタイムリミットは1週間——こう言うと、他にすべきことがある気がして一気に焦る。

年末年始に読みたい本を買ったことと、忘年会と新年会の予定を立てたこと以外、プライべートでやるべき年末の仕事もできていない。

年の瀬の語感からしても、「楽しさ」もだがもっと公私とも「慌ただしさ」があって然るべきなのかなと何となく考えてしまう。いや、正直休みはゆっくりしたいのだけど...…でも気がかりを残して年を越すのはなんか違う。ゆっくりするためにも、すべきことをさっさとすまして、何の気後れもなくダラダラし、楽しみたい。

とはいえお歳暮も年賀状も出さないので、プライベートだと大掃除とお節作りの手伝い、仕事面だと現職の仕事納め加えて転職活動納めだろうか。

ひとまず現職の仕事は目処がついているで、計画通りに進めればいい。転職活動も年末ぎりぎりまで予定を入れているので、今予定しているものはしっかりと終わらせたいところだ。現職の仕事と並行し、それなりに目途がついて年始を迎えられたら嬉しい。

こうして書いていると、思っていたよりそれっぽいというか、忙しそうに思えてきた。「あれ? 私、結構大人としてすべきことをしているのでは?」と気持ちが大きくなる。

残りの予定を粛々とこなし、帰省していくらか家のことを手伝ってあれこれすればもう完璧なのではないか。まぁ、その「あれこれ」が問題ではあるのだけど。

ちなみに掃除も料理もあまり得意ではない。掃除はまだいいが片づけが嫌いすぎる……お節づくりは母の手伝いをするだけだが、そろそろしっかりレシピを継承しておきたい気もする。

ちなみに我が家では毎年お正月には、鹿児島出身だった祖母の得意料理「鯖の昆布巻き」が食卓に並ぶ。丸々1枚の昆布で10cm大の鯖を巻き、それらを竹簡状にタコ糸で縛り大鍋で数日煮こむのだ。

鯖を使う意外性に加え、昆布巻きをお重に入っている通常のサイズ感でイメージした人は、その一つの大きさにも驚くことだろう。一つ二つと食べたら他があんまり入らないくらいお腹いっぱい。かなりダイナミック郷土料理だ。

しかし、これを食べないとお正月という感じがしないのだ。36年間で、そういう体になってしまった。そして、こういう象徴的な家庭料理を持って育ったことが、とても幸せなことだと今ではわかる。

海外に住んでいる兄夫婦も甥っ子たちを連れて帰ってくるので、今年は賑やかなお正月を迎えられそうだ。幼い彼らの心にも、そのうち正月料理の代表として鯖の昆布巻きが加わる日が来るのだろうか。

そう思うと感慨深いし、これを機にみんなで家庭の味を覚えるのも悪くないと思う。

こういった時間の共有を、一回一回大切にしたいと感じる年になってきた。若い頃は煩わしいとしか思わなかった親戚付き合いだったが、異なる側面が見え隠れしてきた。私も、そして家族も年を取ったと思う。

大切な人を見送り家族や自分の老いを見つめながらも、甥っ子達のような若い家族が増えていく喜びもある。ありがたいことだ。

家庭を持っていない自分を棚上げしてこんなことを言うのも忍びないが、彼らがいてくれることで、より一人でいる時の生活が豊かになっていることは間違いない。

この感覚は、実体験よりも先に小説で知っている。

ヘミングウェイの小説『海流のなかの島々』では、島で一人暮らす画家の主人公が、離婚して別々に暮らす三人の息子たちと過ごす時期だけ、いつも守っている習慣を壊す描写がある。習慣には守る喜びと破る喜びがあると、この本で学んだ。

皆が来る前にも自分は幸せであり、ずっと以前から、耐えきれぬほどの淋しさを味わわずとも生き、仕事ができる術は身に付けていた。が、子供たちの到着は、せっかく築きあげた自己防禦的な日課をすべて打ち砕き、今の自分はこの打ち砕かれた状態になじんでしまっている。快い日課ではあった——懸命に仕事をする、予定の時間表で動く、ものは所定の場所に置き、よく手入れをしておく、食事も酒も予定して楽しみに待つ、読むべき新刊書、再読すべき古い本の数々。日々の新聞はきちんと届けば特筆すべき出来事であり、そもそもあまり定期的に届いたことがないので、届かなくとも失望は覚えない——そんな日課。孤独な人々が自分を救い、ときには孤独を晴らすことさえできるあれこれの工夫の盛り込まれた日課。自分で規則を作り、習慣を守り、意識的、無意識的にこれらを利用してきた。だが、いちど子供たちが来てみれば、こういう規則や習慣に頼らずに済むのは、実にありがたいことだと悟ってしまう

アーネスト・ヘミングウェイ『海流のなかの島々 上巻』新潮社

こうした喜びは、日常の戒律的な習慣があることに加え、離れて暮らす家族、そして共に過ごすことが慣習となっている歳時があってこそ自然と成り立つ。

お盆やお正月といった文化的な歳時が、頼るべき私の孤独な習慣を壊す。昔ほどそれが不快ではなく、むしろ愛すべき非日常と思えるようになってきているから不思議だ。

これまで、実家にほとんど帰らないような年もあったが、ありがたみに気けたからには、人と過ごす少しの煩わしさと慌ただしさと共に、愛すべき時間を大切にしたい。

今年はせめてもの親孝行をし、久しぶりに会う甥っ子たちを可愛がり、同じものを食べ、同じ文化を共有する。お年玉を知らない彼らにそれを教えてあげるのも、きっととても楽しいはずだ。

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