格好つけない人生は楽しい

エッセイ

仲のいい同僚と忘年会をした。

朝から買い出しをして、みんなで買いすぎて食べすぎて飲みすぎるための会だ。

チキンを頬張り、シャンメリーをあけ、ケーキを切り、寿司を食べ、みかんを剥き、昼間からお酒を飲む。クリスマスと正月休みを一つの鍋で煮込んだような宅飲みだ。

大人になってからというもの、外での飲み会ばかりだったが、最近はまた宅飲みが増えつつある。

この歳になると、会う相手に子供がいたり妊娠中だったりすることもあるし、いろいろな立場や年齢の人と気にせず話したいとなると、クローズドな環境というのは大変ありがたい。

仕事の話ひとつとっても、外でできないことが多すぎる。

宅飲みはいくらでも騒げるし、会社のことでも家族のことでもなんでも話せるし、酔っ払ってもどうにかなる。この上なく楽だし楽しい。その上深い話ができるので、関係も深めやすい。

学生の時分を思い出し、友人たちと距離が近すぎるほどに近かったあの頃の気持ちにもなれて、なんだか開放的になれる。若返るようだ。

大人や社会人というものにとらわれているのは自分で、何歳になっても遊び方や人との付き合い方は変えられるらしい。

36歳にもなると、なんだか格好つけるのがバカらしくなり、人生は楽しまなきゃ損だなとつくづく思う。その結果、学生みたいな行動がまた増えた気がする。

10歳も若い子を見ていると、自分への不満に悩んでいたり、悩み事を人に話せなくてまた悩んでいる。私もずっとそうだったから気持ちはわかる。

格好つけられるならつけたいし、自分をよく見せたいし、そう思うということは自分に対して不満や否定がある。

しかし年齢のせいか、ここ数年はもう、「まあ、そう思ったとしても自分は自分だし」「こういう生き方しかできないもんなぁ」などと思うのだ。

それが、たとえ年齢に相応しくない、子供じみた行動だったとしても。

昔、歌手のAdoさんがマツコデラックスさんとの対談で、「自分が嫌いなんだけどどうすればいい?」といった悩みを相談した。マツコさんは「私も嫌いだけど嫌いでいい。そのうち嫌いな自分が愛おしくなってくる」といったような言葉を返していた。

私は当時、まだ自分のことが嫌いで嫌いで仕方がない側の人間だったので、なんて優しくていい答えだろうと思った。

格好つけたいのは、自分が嫌いだからだ。自分が憧れる自分で覆う行為が、格好つけることだ。しかし、それを「もういいか」と思うまで悩むと、格好つけない自分を受け入れ始める。

思ったより大人じゃない30代だけど、まあいいか。学生のような遊び方をしながら、今日もそんなふうに思った。

この年齢になって、やっとマツコさんの言う「嫌いだけど愛おしい」がわかる気がしている。

悩み抜いた末にこういう生き方しかできない自分に疲れ、許せるようになってきたということかもしれない。そんな星の数ほどあった若い頃の悩みも、一つずつ忘れていく。

悩みや面倒ごとや苦労は、これからの忘年会シーズンを通して全て忘れていこう。

来年のことを言うと鬼は笑うらしいが、笑われてもいい。今日集まった友人たち全員にとって、来年が良い年であてば良いと心から思う。

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