流行が苦手な理由
私は、流行を追いかけるのが苦手だ。
人気のドラマも、話題の映画も、流行りの服も、SNSで特定のコンテンツの最新情報をリアルタイムで追うことも、とかく避けがちだ。
コンテンツの好き嫌いは関係ない。大好きな本でもそうだからだ。
そもそも新刊を買うことが少ないのだが、珍しく買った際にもなぜかすぐに読まない。
「少し置いてから読もう」と思って、積んでいるうちに古くなる。
古典は良いとしても、話題の本などは早く読んで皆と共有できた方が楽しみが増えるというのに、どうしてもできない。ある意味で、流行としてコンテンツを消費していないとも言える。
「もったいない」とか「買って安心してしまう」というのも勿論あるが、それ以上に「新しい情報を追いかける」行為そのものが苦手なのだ。
それは、その体験が「自分にとっての最良」じゃないと思っている節があるからだ。
自分のペースで、誰にも急かされることなく、ゆっくりと体験したい。
そして誰かが言っていた感想ではなく、できれば自分が本当に感じたことが言葉になるまでの時間的猶予が欲しい。
新しいものからは、独特のプレッシャーを感じる。そのものから発せられる侵し難さもあるが、それ以上に周囲から受けるものが大きいように思う。特に、早いことが周囲と競われているように感じる時が私は苦手だ。
「あの映画もう見た? えーまだ見てないの? おすすめだから、絶対早く見た方がいいよ」
「最新刊読んだ? え、まだ? でも話したいからネタバレしてもいい?」
「好きって言う割に、情報遅いね。本当に好きなの?」
「今話題のアレについて、あなたはどう思う?」
こういった発言は自分も含め言いがちだし、特にSNSでは頻繁に散見される。
私は、何かを好きであることが戦いになった瞬間、その勝負から降りたいと思ってしまう。
「流行を追っているべきだ」とか、「⚪︎⚪︎の新しい情報を早く知っている方が好きということだ」「たくさんのことを知っている方が⚪︎⚪︎を好きということだ」といった考えは、何かを純粋に楽しめなくなるには十分すぎる。
週刊漫画のネタバレが更新時間直後に流出するネット社会では、情報の早さこそが全てなのかもしれないが、そういった場所から私は適切な距離を置いておきたい。する側は気持ち良くても、される側はたまったものじゃないものだ。
好きなものについて話す時、人は冷静さを欠いてしまう。オタク特有の早口で失礼をはたらかないよう、私も気をつけていきたい。
とはいえ私のように、新しいものを苦手とする人もいるはずだ。
周囲が気になりがちで、自分の体験を大事にしたいと考えている人は、新しいものを少し置いてから楽しむことをおすすめしたい。
とはいえ、新刊は気になる
そんな私でも、新刊が気になりはするのだ。
ふと思い立って、「新刊一覧」を眺めたりする。
今日もたまたま眺めていたら、面白そうな本がずらりと並んでいた。
毎日チェックしているわけではないので、当然だが琴線に触れるものがない日もある。
しかし、今日は複数気にる本があったので、嬉しい気持ちになった。覚え書きついでに、ここで触れておく。
ここで紹介することで、同じく興味を持ってくれる人がいたら嬉しいが、私からおすすめはできない。まだ読んでいないどころか、買ってすらいないからだ。
買ったとしても積読となるので、おそらく私が読むのはずいぶん先のことになるだろう……。
- ビジネスエリートのための 教養としての文豪(ダイアモンド社)
- 5分間で言語学—一口サイズのことばへの誘い(ひつじ書房)
- もう1つの居場所をつくる(実業之日本社)
- KOKI ZOO 木下晃希どうぶつ画集(スタジオケイ)
- 世界でいちばん素敵な中世ヨーロッパの教室(三才ブックス)
- 饒舌な動植物たち: ヒトの聴覚を超えて交わされる、クジラの恋の歌、ミツバチのダンス、魚を誘うサンゴ(築地書館)
正直タイトルを見ているだけでも楽しい。普段読まないような本も含め、新刊一覧は分野が多岐に渡るので、眺めているだけで刺激がある。
ちょっと読んだことない種類の本に挑戦したい時など、新刊一覧を眺めて挑戦するジャンルを見つけるのも良いかもしれない。
それにしても、ここ数日で発売のものをざっと見ただけでも、気になる本がこれほどある。
日本では1日に200冊ほどの本が出版されると言うのだから、読めていない面白い本がどれだけあるのだろうと途方もない気持ちになる。同時に、これから死ぬまで読書には飽きることがないだろうという安心感を与えてくれる。
次に読む本を決める時間は楽しい。本を買うのも楽しい。積読しても読んでも蔵書しても飾っても楽しいのだから、まこと最強の趣味と言える。
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