りんごとみかんとカエルクリップ

エッセイ

大晦日。

あらかた年末の準備も終わり、喧騒の中に穏やかな時間が混じる。

私がリビングで本を読んでいると、甥っ子が気を引こうといつもと違う行動をとるのが目の端に映った。

可愛いけど、ちょっとここ数日の非日常からくる疲れもあるしな……。意地悪だと思いつつも、少し泳がせてもらう。

文字を追う視線を外すことなく様子を窺っていると、「あ!」とか「あれー?」とか下手くそな芝居をうっている。そのうち「わー大事なもの落としちゃった!」とか「ちょっと退屈だなー!」とか大きい声で実況をしはじめた。

それでも本から目を離さずにいると、今度は静かになったと思えば周囲をうろうろとして、何かをいそいそとし始めた。

なんだろうと思いふと手元に目を向けると、気づけば机の少し離れたところに、りんごとみかんとカエルの形のクリップが置かれていた。

「なぁにこれ?」

聞いても返事はないが、反応があることが嬉しいのか、満面の笑みで部屋を走り始める。

頭の中に、『となりのトトロ』でメイちゃんがお父さんの机に花を置いて花屋を模していく描写が浮かぶ。

何かお店屋さんだろうかと考えて、すぐに違うとわかる。

よくよく考えてみると、ここ数日会話した中で、私が好きだと言ったことがあるものばかりが集められていたことに気づいたからだ。

「りんごおいしいから一緒に食べようか」

「みかん食べると風邪ひかないよ」

「カエルのグッズが好きで昔集めてたんだよ」

そんな話をした記憶が蘇る。

無言で私の気を引こうとそれらを家中からかき集めてきたのかと思うと、何とも言えない愛おしさが込み上げる。

なんだか狩った獲物をお裾分けする猫みたいだ。

生意気な盛りなのに、めちゃくちゃ可愛いな。

子供って言うこと聞かないし、たまに憎たらしいし基本的に手がかかるけど、こういうところがあるから皆たまらない気持ちになって一生懸命子育てをするのだろうか。

私は気楽な独身で、子育ての大変さの多くをきっと理解できてはいないし、本当に見ていて大変そうだと思うことしかできない。

周囲で子育てに翻弄されている親御さんたちに尊敬の念があるのは確かだが、彼らが疲労と戦い文句を言いながら、それでも何人もの子育てをするのが不思議でならなかったのも事実だ。

しかし何日も共に過ごすと、大変さの中にそれだけではない何かが見え隠れする。子供のこういう純粋さに触れると、もしかすると親という生き物は、苦労が消し飛ぶようにできているのかも知れないと想像できる。

全くの無縁ではなく、そういった想像力を働かせるきっかけがあってよかった。ただ、やはり向き不向きというものはあるのだろう。

数時間も一緒にいると、自室にこもって1人になろうとしてしまう私は、どうやらどこまでも家庭というものには適性がないらしい。

寂しそうにする甥っ子に、そういう人もいるんだよといってわかるものではないが、きっと大きくなってから「叔母さん以外にも孤独を好む変な人は意外にいるもんだな」と思う日は来るかもしれない。

それがせめて彼の世界を広げ、彼の世界にいる孤独を好む人の心を冷やさなければいいと思う。

そんな私にも擬似的な子育てや家庭の経験をさせてもらえることは、本当に得難く有り難いと思っている。

りんごとみかんとカエルクリップは、甥っ子ならではのコミュニケーションで、大人同士の関係ではなかなか味わえない。

今年最後の日に、印象深い愛情表現に触れられたことを嬉しく思う。

そして来年が、愛情深く皆にとって幸多き年であれば良い。

良いお年をお過ごしください。

タイトルとURLをコピーしました