先日、大型書店で赤い表紙が目に飛び込んできた。
岡本太郎著『自分の中に毒を持て』の新装版が本屋で積まれていたのだ。
ずっと気になっていた本だったので、迷わず手に取り購入した。
作品を通して強く感じたのは、「ありのままの個性で、瞬間瞬間を真剣に生きなさい」というメッセージだった。
つい他人の目が気になってしまったり、社会のマジョリティに引け目を感じたり、自分を誰かと比べて欠けていると自信を失ってしまう人には、きっと力になる本だ。
私のように自己否定をしがちな人間にとって、この本は厳しくも心強い言葉の連続だった。
二重表紙となっている。新装版の表紙には、本で伝えたい岡本太郎の言葉のエッセンスが敷き詰められている。
章立てについて
この本は、以下の4章で構成されており、岡本太郎氏の生き方を写す名言集のようになっている。
最も伝えたいこと・最も読者へ問いかけたいことを章のタイトルにしているように見える。
- 第1章:意外な発想を持たないと あなたの価値は出ない——迷ったら、危険な道に賭けるんだ
- 第2章:個性は出し方 薬になるか毒になるか——他人と同じに生きてると自己嫌悪に陥るだけ
- 第3章:相手の中から引き出す自分 それが愛——ほんとうの相手をつかむ愛し方愛され方
- 第4章:あなたは常識人間を捨てられるか——いつも興奮と喜びに満ちた自分になる
各章で伝えられているメッセージについて、もう少し詳しく触れておきたい。
第1章:捨てることの重要性
第1章では、蓄えや保身や無難や安全といったものを全てバッサリと切り捨てている。
世間で良いとされているからなんとなく脳死でとっている倫理的な行動や、自分の人生から逃げるために選択された社会的な行動の否定。
こう書くと、厳しく叱咤されているように感じるが、そうではない。
ふと思いついた自分のやりたいことをやってみて続かなくても、三日坊主になる前提の計画を立てても、その瞬間を生きていれば良いじゃないかと言ってくれている。
過去や未来にとらわれず、今の自分の感性に従い、やりたいことやすべきことに全力をかける。
岡本太郎氏のそうした考え方に触れた時に私は、実践哲学である古代ストアの言葉を思い出した。
今の大切さと人生の短さを説いたストア派の哲学者に、セネカがいる。
「時間に向き合えない人の人生は短く、不安に満ちている。これに対して、過去を忘れ、現在をおろそかにし、未来を恐れる人たちの生涯は、きわめて短く不安に満ちている。彼らは夜を願って昼を失い、朝を恐れて夜を失うのだから」
「ひとはだれしも、未来への希望と、現在への嫌悪につき動かされながら、自分の人生を生き急ぐのだ。しかし、すべての時間を自分のためだけに使う人、毎日を人生最後の日のように生きる人は、明日を待ち望むことも、明日を恐れることもない」
セネカ『人生の短さについて』
セネカは他にも同書で、「他者と共にありたかったがゆえでなく、自己と共にあることに耐えられなかった」と惰性で今を疎かにすることや自分自身に向き合わない生き方を批判している。
この考えは、刹那的でも今を生き、運命に真摯に向き合うことを推奨している岡本太郎氏の言葉と共通したメッセージを感じる。
第2章:君だけでなく、皆が絶望的である
第2章では、この世で苦しんだり悩んだりしているのは、自分だけではないと伝えている。
一見そうは見えなくても、誰もが個性的で何かが足りなくて、絶望的に歪な存在であるのだ、と。
しかし、自身の歪みと向き合い、受け入れて、ありのままの自分で残酷な現実と対決しながら進んでいくことで完成するものがある。時に、それを美しいとさえ思うと、この章では伝えている。
私は、何か辛いことがあった時にはつい、「この先、この辛い経験の答え合わせができるかな」などと考えてしまう。
辛いことがあったから、良いことがあるわけではないとわかっている。しかしなんとなく、受け入れ難い現実にぶつかると、それを克服した理想的な未来を思い描く。
今経験している出来事がチャラになるくらいの良い未来が存在して、今がその伏線であったらいいのにと思ってしまうのだ。
「ああ、このためにあの苦しい時期があったんだな」などという慰めのような答え合わせを求めてしまう。
しかしそんな都合の良い運命論がくだらないと思わされた。
自分の瑕疵を認め、その個性を否定するのではなく受け入れて、かけたまま・歪んだままの自分の完成形を目指す。
そんな強さが私にも欲しいと思った。
第3章:恋愛相手のことは二の次
第三章では、岡本太郎氏の私生活を踏まえて、結婚や恋愛観について語られている。
私はこの章で、相思相愛という概念や、結婚や恋愛における運命についての考えを改めさせられた。
お互いに同じだけの熱量で、同じだけの愛情を向けられるわけではないのだから、恋愛は「いつでもどちらかの片想い」だと言う。
どちらがより深く愛している感度というのは意識もしたことがないらしく、恋愛も芸術も、自分を真剣に相手にぶつける行為でしかないのだという。ここでも、第1章で語られたような、ありのままの自分で今を懸命に生きる姿勢が一貫していると感じる。
自分の相手への思いが確かにあれば、相手がどうであろうと関係なく、想いに正直に行動する。
片思いとか相思相愛とか、結婚するしないで行動が制限されることはない。駆け引きや、惚れられた方が有利なんてことは考えずに、そんなふうに正直に生きられたら素晴らしいと思う。
岡本太郎氏が、運命的な出会いと結婚とを、全く関係のないことだと切って捨てているのも印象的だった。
結婚に限らずだが、何かに結実することや持続可能な物事に対して、私は価値をおきすぎていたと気付かされた。
最終的に別れる人間関係であっても、辞める仕事であっても、ダメになる夢でも、付き合い真剣に向き合った時間はかけがえのないものとして自分の中に残るのだ。
そうすれば、失敗なんていうものも、間違いや意味のないものも、今感じているほど多くはないのだと勇気づけられる。
第4章:無目的に生きることのススメ
最後の章では、私が最も心を打たれたエピソードが書かれている。
岡本太郎氏が悩み苦しみ、その辛さを紛らわせようと映画館に入った時のことだ。
明滅するスクリーンの中の映像には没入できず、作品は岡本太郎氏の憂いを晴らしてくれることはなかったのだ。しかし、それがかえって自分自身の心の中の明かりと対峙するきっかけとなったのだろう。
…..そうだ。おれは神聖な火炎を大事にして、まもろうとしている。大事にするから、弱くなってしまうのだ。己自身と闘え。自分自身を突きとばせばいいのだ。炎はその瞬間に燃えあがり、あとは無。爆発するんだ。
自分を認めさせようとか、この社会のなかで自分がどういう役割を果たせるんだろうとか、いろいろ状況を考えたり、成果を計算したり、そういうことで自分を貫こうとしても、無意味な袋小路に入ってしまう。
今、この瞬間。まったく無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する。それがすべてだ。
岡本太郎『自分の中に毒を持て』
そう気づいてからは吹っ切れて、自由になったと語っている。
現実的な出来事が急には大きく変わらなくても、恐れがなくなったというのだ。
これが、岡本太郎氏の「爆発」にかける想いであり、本当の意味でありのままの自分で生きていくことを受け入れた瞬間なのかもしれない。
保守的な考えなど全て捨てて、瞬間瞬間のベストを尽くす。ありのままの自分でぶつかり、闘って、死に漸近するほど強烈に生きること。
言うは易しだが、守りを捨てて攻めの姿勢を貫くというのは並大抵の覚悟ではない。
しかしここに、岡本太郎の芸術を支える思想が詰まっているはずだ。
この本を読んで、感じたこととできること
私はこの本を読んで、自分にいかに正直に生きられていないかを知ることになった。
社会的な規範や倫理観、モラル、他人からの視線や評価を気にして、身動きが取れなくなったことは数えきれないほどある。
30代も後半になれば、自分の人生に責任を取れるのは自分だけだということも嫌というほどわかるし、誰かに舵取りや大事な選択を委ねることはあってはならないと経験から知っている。
それでも日常の細かな場面で、自分自身に嘘をついたり、本心ではない行動をとってしまうこともある。
まずはそんな自分に気づいたら、今感じていることや自分の心の声に耳を傾け、できる限り正直になろうと決めた。
この本は、私がブログを始める際に、背中を押してくれた本でもある。
今感じていることをする。今したいならすぐに始める。
今の自分に正直になり、ありのままの自分を表現することを恐れない。
思ったことを言葉にする勇気をもらえた。
このレビューを読んで、同じように勇気を持って行動に移せる人がいたら嬉しい。
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