【本紹介】読んできた本について

読書レビュー

ブログを始めるにあたって、私が絶対にしたいと思っていたテーマに、本の紹介がある。

最近読んだ本の紹介や感想、過去に好きだと思った本屋読み返した本などについても触れていきたいと思っている。

今後、一冊一冊に触れていくことを前提として、これまでの読書について少し話がしたい。

私は速読でも多読でもないが、ジャンルにはこだわらず色々と読む方だ。

ビジネス書、小説、詩、エッセイ、哲学書、自伝、科学系に人文系となんでも読む。

過去、小説ばかり読んでいた頃もあった。特に20代の頃、闘病中に読み漁ったSF小説や古典文学は、私を豊かにしてくれたと思う。

好きなSF小説

SF小説は、伊藤計劃氏を知ったことで、その魅力に完全に囚われた。同時期にアニメ『サイコパス』を見たことも影響が大きかったと思う。

伊藤計劃三部作を読んだ後は、洋の東西を問わずSFと名のつくものを手に取った。

名作とされるジョージ・オーウェル『1984』、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』、ハインラインの『夏への扉』などを好んで読み、長編の後は短編やショートショートにも魅せられた。

創元社から出ている日本SF傑作選を読み漁り、星新一ももちろん読んだ。

SF作品は未来学でもあるため、この先の未来に想いを馳せながら、不安と期待を感じることができる。

凝った設定も楽しいファンタジーとして読める作品もあれば、リアルすぎるディストピアに引き込まれる作品もあった。私の好きだったSF作品は、総じて仄暗さや悲哀が鮮明に描かれており、同時にとても美しいと感じることが多かった。

また、SFには少なからず言葉を題材にしているものがあり、SF作家には言葉や言語に挑戦するような作品を書いている人もいる。私はそれがとても好きだった。

伊藤計劃の『ハーモニー』『虐殺器官』、神林長平の『言壺』『言葉使い師』、筒井康隆の『残像に口紅を』など、今書き出していても読み返したくなる素晴らしい作品だ。

本が好きで言葉の表現を好み、言葉で表現することに挑み続ける作家たちは、いつか言葉の限界や可能性に想いを馳せるようになるのかもしれない。

読んでよかった古典作品

闘病中というのは、お金はないがとかく時間だけはあるもので、今ではなかなか読むのにハードルが高いなと感じる長編も古本屋で買い漁った。

ゲーテの『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』、ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』『この人を見よ』、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、ホメロスの『イリアス』などなど。

加えて、古事記や神話、シャイクスピアなども読んだ記憶がある。

今となっては、あの頃にしか手を出せなかったなと思えるものもあり、本当に読んでよかった。

古典は、現代に当たり前のように引き継がれている表現や思考の源流を見ることができる。

現代に至るまでの作家の多くが古典作品を読んで、影響され、応用発展させて作品を紡いできたと思うと、オリジナルに触れることの意味と受ける影響は無限大だ。

それに、単純に古典・名著と呼ばれるものは読み終わるだけで自信になる。なんだか強くなったような、賢く慣れたような気までしてくる。

また、聖書のような共通のテキストを持たない私たち日本人は、古典とまではいかずとも、昔の文豪の書いた作品や童話などを読むことは必要だと思っている。

会話の中で何かを例えたり考えたりするときに、皆が共通して持つストーリーや論理があることは、非常に有意義で共感もしやすい。

例えば教科書で読んだ話などは、時代と共に少し変化はするものの、共通のテキストと呼べるものに近いかもしれない。

皆の感性や言葉の表現の根底に敷かれる文学は、ないよりも絶対にあったほうがいい。

もしかしたら今後、全く違う年代の人と、同じ古典を読んだ経験で打ち解けて、話が弾むかもしれない。

そんなくるかもしれない日を夢見て、これからも古典に触れていきたいと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました