【勘違いの指向性】好きなものに過敏すぎて空耳・空目が絶えない話

エッセイ

朝、会社のエレベーターで乗り合わせた同僚が眠そうに言った。

「昨晩、本を読み始めたら面白くて止められなくて……興奮して眠れなくなっちゃった」

「あらー。読んでる時は幸せだけど、翌朝後悔しますよね」

「本当に。夜の読書は気を付けないと」

辛そうに目を押さえる同僚に私は、面白すぎるのも考え物ですね、と返した。すると相手は、大きく頷く。

「寝る直前は、難しい本か面白くない本読まないとね。それでいうと——私は『1Q84』かな。あれは読めなくて挫折したから」

「えっ」

いきなり出た本のタイトルに驚き、私は思わず声を上げた。

「オーウェルの『1984』?」

その問いかけに返事はなかったが、私は好きな本の名前が他人から出ることへの興奮を抑えきれず喜色ばんだ。それからすぐに、苦手な本の話題でその名が出されたことを思い出し、勝手に落ち込む。

「あ一……そっか。苦手でしたか。私は結構好きなんですよ」

同僚は奇妙な間をおいてから、こちらを見た。ほんの少し首をかしげていた。今日初めて合った目は充血していた。

「ごぜんさん、好きなんだ? 有名だし、作者人気がすごいから、うかつなこと言えませんね……。私にはくどすぎて。説明がいちいち長いから」

その人はそれ以外にも、嫌いな理由をたくさん挙げていた。私は否定も肯定もせず、それを聞いていた。

「うーん、そういう風にもとれますかね。海外SF独特の雰囲気とか、翻訳文を苦手に感じる人もいますし」

「んー? そういえば村上春樹って翻訳もしてましたっけ。まぁ、文体も苦手だけど、そもそも私はもっとファンタジー要素が強い本が好きなんですけどね」

相手の言葉に、今度は私が首をかしげた。

「え、村上春樹?!」

「え、そうですけど」

ここで私は、盛大な勘違いをしていることに気づいた。

「あ、そういうことか! 『1984年』じゃなくて『1Q84』か!」

気づいてからは、すべての違和感に納得した。アンジャッシュのネタみたいなことをしてしまった。

勘違いについて謝り訂正したが、相手はジュージ・オーウェルを知らなかったから、私が言葉を尽くす間もあまり腑に落ちてなさそうだった。なんかごめん。

そのあとは長編よりも短編が好きだとか、そんな話をして適当に会話は終わった。

私は、朝から反省した。好きなものの話題に過敏すぎるのも考えものだ。タイトルを聞いたときに、二つの可能性を頭に浮かべるべきだったが、明らかなバイアスがかかった。

こういった経験は前にもある。

電車の吊り革広告で、雑誌の宣伝があった。そこには大きな字で「ヒグチユウコ」と書かれていたのだが、ポケモン好きの私は「ピカチュウ」に空目し、女性雑誌で特集が組まれているのだと勘違いして喜んだ。

オタクというのは——とひとくくりにされたら他のオタクに怒られそうだが——兎角好きなものに敏感で、他者の口から好きな物の名前が出ると飛びついてしまう。恥ずかしい勘違いに繋がりやすいので、気をつけなくてはならない。

好きなものについて誰とでも話せるわけではないと、ある種の抑圧を経験し、感度が跳ね上がるという経験は誰にでもあるはずだ。

難しい本を頑張って読んでいるとき、平易な文章が出てくるといたく感銘を受けるのと似ている。

「わかる」ということを「感銘」と勘違いし、メモを取ったりするのだが、後から読み返すとなんでメモを取ったのかもよくわからない文章だったりする。その本の真髄でもなければさして自分に刺さりもしていない。難しい文章で長期間の抑圧を受けていたために簡単な文章に快楽を感じただけだったのだ。

趣味や好きな話題を共有する時間は大切だ。やらかす前にこまめにそういう時間を設けなければならないと再認識した。

抑圧された人間は何をするかわからない。そのうち、似ても似つかない言葉にも反応して、空耳で話題を膨らませ始めるかもしれない。

ただ話したいだけの人は、会話でドッジボールをし始める。できればキャッチボールのまま歳を取りたいものである。

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