【京都】古都も自分も10年もあれば変わること

エッセイ

久しぶりに京都に行った。

仕事で出町柳駅あたりに立ち寄ったのだが、どうせなら楽しみたいと思い、駅前をうろうろと歩く。しかし、自分の土地勘がすっかりなくなっていることに驚いた。

学生時代は京都が長かったので、市内を歩けば通りの名前がスラスラ出てきて懐かしくなるかと思ったが、街並みが変わりすぎていてなんの懐古もわかない。

東大路通に川端通に今出川通り……そういえばそうだったと思いながらキョロキョロと周囲を見渡し大通りの表記を見て歩く。

思ったよりも懐かしく感じないのは、街並みが変わった以上に、私の記憶が薄れすぎている可能性もあると思う。10年以上も経つと、記憶も薄れるし、お店はなくなるし、駅は新しくなる。

京阪電車なんて、知り尽くしていると思っていたのに、特急にプレミアムカー連結なんてものができていた。ラグジュアリーな車両は入り口に女性スタッフが立ち、さながらCAが出迎えるビジネスクラスのようだ。

今回は機会に恵まれなかったが、あれほどの空間演出ならば、短い時間でもお金を払う価値がありそうだと思った。次に京阪で特急に乗る際は、ぜひ利用したい。

何年か前に特急の種類が増えたところまでは追えていたのだが、最新事情はまた随分と変わってしまっていたようだ。時代の流れが早すぎる。哀しいような嬉しいような——。

用事を済ませた私は、家族から頼まれた阿闍梨餅を買い、八ツ橋とおたべを買い、志津屋でカルネを買って帰りの電車に乗った。志津屋でメロンパンだけを買うビジネスマンの地元民感に、なんとなく負けた感じがしてしまった。

住んでいた頃には決してしなかった行動に、まるで京都初心者かのようなムーブではないか……と愕然としていると、自転車に乗る学生たちが横を素早く立ち去り、その先にあるはずの景色に想いを馳せる。玄人感を出すためにはやはり志津屋ではなく百万遍の進々堂に行くべきだったか……?

そんな気持ちになる私を唯一救ったのは、阿闍梨餅を買った後、道を歩いている女性に話しかけられ道を尋ねられたことだ。まだ道案内ができるくらいには、土地に慣れている感じが出せているらしいと胸を撫で下ろした。

雨が降り始める頃に京都を後にしたが、私の中で、京都はいつも曇っている印象だ。今日も例に漏れず、一日中曇っていた。

なんとなく、学生時代も後半の記憶と重なって、京都に対して明るい印象が持てずにいる自分がいる。楽しかった時期もたくさんあるし、輝かしい記憶もあるのに、切ない気持ちがついて回るのは「終わりよければ」というやつなのだろうか。

市内が離れるにつれて小雨が止んで太陽がのぞくのを見て、京都の薄曇りの印象を今後払拭できる日が来たらいいなと思った。

この10年で私も随分と変わっただろうと思う。

古都と呼ばれる京都でも、10年もすれば街並みが一新し、印象が変わる。そのうち私の中の京都の思い出が、晴れた日に鴨川がきらめくような明るいものに変わる日も来るだろう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました