【アニメ】『来世は他人がいい』が面白すぎる

漫画・アニメレビュー

今期のアニメはほとんど追えていないのだが、『来世は他人がいい』は見ている。

しっかりと少女漫画が原作のアニメにハマるのは久しぶりかもしれない。以前、私の好みをよく知る友人におすすめされていたが、アニメ化に至ってやっと見始め、漫画も読みたいと思った。

キャラクターが立っていて全員魅力的だし、関係性が見ていて楽しい。主人公の吉乃が普通の感性を持つ女子高生で、裏社会に近い場所にいながら飛び抜けた強さも頭脳も持っていない。ただただ度胸と美しさと人望だけで乗り越えていくというのが面白い。一見、登場人物の中では常識人で普通に見えるのに、いざという時には肝が据わっていて誰より男らしく無鉄砲。ヒヤヒヤするが応援したくなるし、格好いい女性が好きな私は見ていて楽しい。

吉乃が、常軌を逸した感覚の周囲の男性陣を魅了していくのがまた、少女漫画にふさわしい醍醐味もしっかり楽しませてくれる。

ちなみに、私は兄貴分の翔真との距離感や関係性がとても好きだ。ずっと近くにいた二人の間の信頼関係が、言葉にしなくても、悪態をついていても、所作や目線や行間といった直接的な言葉に表れない他のすべてから滲み出ている。

アニメの最新話を見て、つい勢いで原作のスピンオフ短編「二人は底辺」も購入し、読んでしまった。

吉乃と翔真の中学時代の過去編で、出会ってから兄妹になるまでの話。

タイトルからは暗い過去が仄めかされているが、冷たい底辺に二人で立っている力強さのようなものが表紙からは感じられる。

実際読んでみて思ったのは、吉乃は翔真の存在により、底辺にいる自覚と覚悟を養ったのだということ。底で受け止める覚悟が、自覚を生んだのだと思う。

翔真は間違いなく、底辺に「落ちてきた」側の人間だ。自らの意志で選んだ部分とそうでない部分があわさって、もう行くところまで行って最後にたどり着いたのがヤクザの組長の養子——吉乃の家だった。

反して吉乃は、ヤクザの家に生まれて友人もいなくて孤独だったが、生活は守られて生きてきた。寂しさはあっても底辺にいる自覚まではなく、落ちてたどり着いたわけでなく「ずっとそこにいた」側の人間だ。しかしそこには、同世代でありながら守られず人生を諦めた翔真が落ちてきた。家族として。そして兄として。

吉乃はこうして、翔真がいる場所をこれ以上は下のない「底」にすると決めたのだ。これより下はない。ここより下には落ちさせない。逆にいうと、ここをマシな場所にする。そういう覚悟が、吉乃に生まれた瞬間だったと思う。

翔真は翔真で、落ちた先にいた孤独な吉乃の隣で踏ん張ることを決めた。自分の底を決めてくれた吉乃と一緒に、底辺でもせめて孤独ではない場所にしようと寄り添った。

このタイトルは一見して暗く尖った印象を受けるが、内容を読んでからだと、二人の覚悟や思いやりが伝わる優しい印象になる。とても素敵なタイトルだ。

原作漫画の最新刊までまだ追えてないのに、この語りっぷり……。せめて全て読んでから語ってほしい。自分でもちょっと引く。

しかしそれほどアニメもスピンオフも良かったのだ。

続きを見たらまた荒ぶりそうだが、ひとまず今日はここで筆を置きたい。

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